Kii's Open Field

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2016年8月16日火曜日

鶴見橋商店街

今日は「畑の風景」ではなく、最近訪れた大阪の「街の風景」を書いてみました

唐突ですが、このページを読んだ方は、大阪の「西成」に行ったことがあるでしょうか
あるいは「西成」について、どんなイメージを持っておられるだろうか?
私のイメージは、
  ちょっと怖いところ、気軽に行ってはいけないところ
  日雇い、浮浪者が多く、治安が悪いところ


私事ですが、
母の容態が悪いとの連絡を受け、2年ぶりに帰阪、
たまたま西成に宿を取ることになり、この地を訪れた
今でも危険なところは残っているが、一方、最近は外国人訪問者が増えつつあるとのこと

私が泊まった宿は、鶴見橋商店街のすぐそばにあった
この商店街は、東西に走るアーケードが長く続き、大阪でも2番めの規模を誇るそうだ
古くからの店が残り、古臭いものも売っていて、でもたくさんの人で活気に溢れている
洒落たものはないかも知れないけれど、住む人に必要なものが揃う
シャッターの降りたままの店は少ない

まだこんな商店街が残っていたんだ...
そこでは私はまるで外国人訪問者のようでもあり、
タイムマシンで昔に戻ったようでもあった


古い
けれども、古いものがそれなりに使われている

汚い
しかし、不潔というのと一線を画している

人が多い
梅田やなんばの人混みとは違う
少し険しい顔をした人、思いつめたような表情の人、いろんな歴史が刻まれた顔、
どこかに何かを求めて歩いている

自転車率が高い
車椅子も多い
押してもらっている人だけでなく、電動で自走タイプのものも多数
それから、関西で古くから言われている「独りで勝手に怒っているおじさん」が居る
今回見かけたのは、おじさんではなくおばさんだったが

安い
生活に必要な食材、衣類を、小さな店で売っている
他の街では生き残っていけないような店がたくさん残っている
大手チェーン店がない
イ◯ン、大手コンビニ、大手100円ショップ、ユニ△ロ、ス□バ、マ◯クなど見当たらず
地元風コンビニ・地元風100円ショップはある
この付近のチェーン店「玉出スーパー」が激安
たくさんの人たちで賑わっている
大きなコロッケが19円(ひとり5個までの制限あり)

やっぱり人が多い
この近辺で働く人やその家族などが多い
独特の雰囲気で、眼を合わせることが難しい
自分が少し怖気づいているからかも知れない
他所者はすぐにそれと分かってしまうだろう
韓国人(在日?)も多いらしく、
韓国食材の店がそこかしこにある
日本風ではない本物のキムチが並ぶ

気の向くまま、面白そうだな、という嗅覚だけを頼りに歩きまわる
多分、気温は35℃を超えている中、
異国のようでいて、どこか懐かしく、
近寄りがたい筈なのに離れたくない
戦後がまだ風化していないのか
私が幼かった頃の大阪の街を想い出す
ここが中国なら、あの老上海の旧市街、
当局のクレーンで撤去されていなければ、わずかに残っているだろう街並みに似る
この雰囲気を忘れたくない
記録しておきたい衝動に駆られるが、
ポケットからカメラを取り出す気にもなれず


通天閣の真下は空虚、「◯◯の夕陽」のような面影はない


さらに歩いて、ちょっと外れてきたかなと思い、気が付くと通天閣の直下
大阪の真ん中に着いた気分だ
すぐそばには、美味しい物の宝庫「新世界」、そして道頓堀、戎橋を経てなんばへ

心斎橋筋界隈は、鶴見橋の懐かしい風景とはまったく違う
外国人観光客比率が70%を超えている
中国、台湾、韓国から、夏休みで若い人が数多く訪れている
ここで目にするのは、それぞれの国では余裕のある人たちなのだと思う
そして少なくとも今は、日本の経済のいくらかの部分を担っているのだろう

平日昼間の戎橋付近は異国の様相


そして、
足にマメができるまで歩きまわった私自身も、
国籍は日本人だけれども、
ここでは外国人とある意味同じだと気付く


ここには住めないことはよくわかるし、大阪に戻るつもりもない

けれども、
翌日もまた少し違う道を歩いた

午前中だが暑い
ここが有名な三角公園...
などと直視することもキョロキョロ見回すこともできず、
立ち止まることもなく、
足をひきずるようにして、
JR新今宮までたどりついた

そうして、名残惜しさと安堵とが混じった不思議な気持ちで、
暑いタイムマシンを降りたのでした

淀川の支流、土佐堀川を渡って梅田へ



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2016年8月14日日曜日

プルーン「オパール」の樹

今年の8月は雨がない
そして暑い
早生プルーン「オパール」の熟成にとっては最高の天候

この1本の樹から、約1000個のプルーンの実が採れます
でも、もし放任したら...
つまり、摘果などをまったく行わなければ、
今年は豊作だったので、おそらくその10倍のプルーンが実ったことでしょう
個々の果物は少し小さく、熟成も進みにくかったかも知れません
しかし、それは放任と摘果の両方を試すことはできなかったので、
単に想像するだけです
放任と摘果、どちらが樹にとって幸せだったか、わかりません
きっと、たわわに成った果実の1つを、枝から引き剥がすのは、
たいへんだったことと思います。

ひとりの農家は自然に放任するよりも摘果して、大きな果実が欲しい、
間違いなく美味しくなってくれ、と願いました

オパールの樹



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